ちなみに第二次大戦後の1950年には、GHQが進めた財閥解体により、三菱財閥の多くは三菱を使わない社名に変更。三菱マークも使えなくなりました。このとき、「三菱鉛筆」とその三菱マークも一緒に抹殺されそうになりました。
「時代を書きすすむ三菱鉛筆100年」によると、当時の眞崎大和鉛筆では社長が先頭に立ってGHQに掛け合った結果、全製品に「非財閥」などと明記する形でブランドの存続が認められたそうです。
「三菱財閥とは人的にも、資本(金銭)的にも、そしてまた物的にも何ら関係のないことを説き、三菱のマークが座財閥の独占物ではないことを立証し、条件付きで、『三菱鉛筆』と『三菱マーク』の使用が認められ、事なきを得た」
1952年には鉛筆のブランド名にあわせて社名も「三菱鉛筆」と改名しています。
1903年(明治36年)
眞崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)が三菱マークを商標登録(鉛筆など)
1914年(大正3年)
三菱合資会社(現在の三菱グループ)が三菱マークを商標登録(鋼鉄など)